“花轿(花嫁かご)”は“喜轿”とも呼ばれ、伝統的な中国式の婚礼で使われる一種の“轿子(かご) ”です。この“轿子”は一般的に装飾が華やかで、かごの本体の大部分は赤色で、めでたさと縁起の良さを寓意しており、そのため俗に“大红花轿”と呼ばれています。
“轿子”はもとの名を“舆”といい、それについての記載で最も早いものは『史記』に見られ、早くも春秋時代にはすでに現れていました。晋代や六朝には“肩輿”、つまり人が担ぐ“轿子”が盛んになっていました。後になって唐五代には、“轿”と呼はれ始めました。北宋時代には、轿子は皇室の使用のみに供されていたが、後に“轿子”はしだいに民間に広まっていき、人々の足代わりの乗り物となって日に日に普及していったのです。南宋の孝宗皇帝は皇后のために“龙肩舆”を作り、その上に4頭の龍、朱色の漆塗りのフジで編んだ椅子、踏み台、戸や窓を飾り付け、中には赤色の絹の柔らかい布団、外にはとばりやカーテンがあります。これが最も早い“花轿”ですが、当時は“彩舆”と呼ばれていました。
やはり宋代から始まったのだが、人々は“轿子”を花嫁の出迎えに使い、さらにしだいに一種の民間風俗となってきました。当時、嫁入り前の女性は家で適切な装いをして、夜明けに男性側が鮮やかで美しい“花轿”を派遣して迎えに行かせ、これを“赶时辰”と呼びました。聞くところによると、当日もし何軒かの家が同時に花嫁を迎えるのであれば、着く時間が早い家が、より将来幸せで円満になるという。この(1つの)民間風俗は、現在の一部の地域でなおも非常に盛んに行われています。
“花轿”の主な用途は新婦を迎えて新郎の家まで行って婚礼を挙げることで、“花轿”は多くの場合4人で担ぎ、2人加えて交代させたり、あるいは“花轿”の前後で傘を差して、爆竹を鳴らしたりなどする時もあります。
新婦が新郎の家に着いてかごを降りる時には、またいくつかの民俗儀式があります。例えば、新婦は普通“迈火盆(火鉢跨ぎ) ”をしなければならず、火鉢にはモモの木やヤナギの木を入れ、さらにアズキと辰砂を入れ、しかも必ずたきぎで燃やさなければならず、このようにするのは新婚夫婦の今後の日々が火鉢の火のように活気に満ちた豊かなものであるという寓意です。
今になって、ますます多くの若者は結婚式で白い結婚ドレスを着なくて、あえて民俗的な結婚服を着て、儀式も伝統通りに行います。これは中国の文化を守るためのとっても積極的なやり方でしょう。
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