シルクと絹 | Only語学塾

シルクと絹

 絹とシルクの歴史は紀元前に中国ではじまったとされて、やがてシルクロード(絹の道)を通じて世界中に広がったといわれています。5,000~6,000年前の中国からシルクが使われてきたといわれています。野生の蚕(かいこ)の繭(まゆ)を集め、糸をつむぎだして絹織物を作ったのははじまりだと考えられています。その後、蚕を家の中で飼育し、改良を重ねて、効率的にシルクを生産することができて、現在の家蚕(かさん)になったと推察されています。

 絹織物は中国の王侯・貴族の独占物として国外に持ち出すことは禁止されていましたが、紀元前4~3世紀には中近東からヨーロッパ・北アフリカを結ぶ東西交易路を通じて地中海諸国に伝わりました。やがてこの交易路が絹織物を中心に活発になり、中国の長安(現在の西安)からコンスタンチノーブル(現在のイスタンブール)を結ぶシルクロードと呼ばれるようになりました。しかし、19世紀中期にヨーロッパで蚕の病気が大流行し、蚕が壊滅状態に陥ったため、蚕糸業(養蚕・製糸業)の中心は再びアジアに戻りました。その一方で、イタリア、フランスもアジアから生糸を輸入して絹織物の生産を続けました。

 蜀江錦とも呼ばれる蜀錦は、戦国時代に四川省成都市で生まれた絹織物です。2000年の歴史を持っています。蜀錦は縦糸で色を付け、横糸で模様を付けていく織物で、方形や線形、幾何学の模様、対称形の模様、連続した模様などが作られます。色彩が艶やかで、コントラストが強いことが特徴です。漢民族文化と地方色の風格を混ぜて豊かな絹織物です。

 成都には、錦江や錦城など「錦」の付く地名が多いです。これは漢時代にはすでに成都の蜀錦が発展していましたから。当時、朝廷は成都に絹織を管理する官員を派遣して、そこから成都は「錦官城」とも呼ばれていました。略して「錦城」です。成都近郊に位置する錦江は、多くの民衆が蜀錦を洗っていたことから名付けられました。

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