黄金水道–京杭大運河

  総延長の長さ、プロジェクトの大きさ、歴史の古さで、世界でも名高い京杭大運河は、古代中国の最も偉大なプロジェクトのひとつです。京杭大運河は、北にある北京(涿郡)から始まり、北京、天津両市及び河北、山東、江蘇、浙江四省を経由し、南にある杭州(余杭)まで延びています。そして、海河、黄河、淮河、長江、銭塘江という五大水系を通過します。京杭大運河は、全長1794キロメートルで、スエズ運河の16倍で、パナマ運河の33倍です。京杭大運河は古くから、「黄金水道」と呼ばれています。

  東より西の方が、地勢が高い中国では、自然に形成される江河はいずれも西から東へ平行に流れていました(図一:青色の江河)。東西の大河を南北の運河でつなぐことによって、物資や人を効率よく輸送できます。そこで、南北の交流と交通運輸のために、南北を貫通する水路を切り拓くことは極めて必要でかつ重要なことになりました。

  京杭大運河は2500年も歴史を持ち、春秋時代(紀元前770年~紀元前206年)より部分的には開削されてきましたが、隋の煬帝(610年)より整備しました。

  具体的に言うと、紀元前486年、呉王夫差に統治された時、10年掛かって邗溝を掘り、江淮に繋ぎました。また、戦国時代に、大溝と鴻溝の掘ったことにより、江、淮、河、済四大水系が繋がりました。隋代で煬帝は、605年に黄河と淮河を結ぶ通済渠(つうさいきょ)を、608年には黄河と北京を結ぶ永済渠(えいせいきょ)を、そして610年には余杭と長江を結ぶ江南河(こうなんが)を建設し、総延長2500キロメートルに及ぶ大運河が完成しました。これは北京と余杭(杭州)を結ぶことから「京杭大運河」と呼びます。

  京杭大運河によってそれまで北と南に分かれていた中国が真の意味で統一されたことになり、流通面だけでなく、社会的にも歴史的にも極めて大きな意味を有する大事業だった言えます。一方で、大運河の建設に女性を含む100万人以上もの多大な労働力を動員したから、当時の民衆の不満は大きかったです。また、煬帝は豪奢な生活を好み、自分のために作らせた豪華船に乗ってたびたび南部に遊びに出かけたため、民衆の評判も悪くなりました。

   京杭大運河は万里の長城と同じように、世界もっとも偉大な古代土木工事の一つと言われて、今でも河川運輸が活発しています。また運河の沿岸で、徒歩でも、游船でも、自転車でも、ただの休憩でも、運河の風情溢れる風景をいっぱい味わうことができます。キーワード:東京、池袋、中国語教室、中国語、東京、池袋、中国語教室、中国語、東京、池袋、中国語教室、中国語、東京、池袋、中国語教室、中国語