中国古代有名な女性

 現在、日本には女子社員が幅広く増えている。東京や池袋には洋服を着ておしゃれな女子社員がよく見られる。ところで、私たち中国語教室はさらに女子社会のような世界である。

しかし、皆さんの知っているように、中国古代には、男子は社会で権力を奪わたり、社交活動で活躍したりしていたが、女子は相対的に静かに時間をつぶしている。ですが、中国古代には非常に有名な女の子も数多くいる。彼女たちは砂漠にうずもれた真珠のようにいつまでも輝きている。

 最も有名な女性は必ず中国史上唯一の女皇帝則天武后である。中国語で武則天(中国語:wǔ zé tiān)という。則天武后はもともと太宗の才人(中国語:cái rén)である。才人とは妃の一種である。太宗は「唐三代にして、女王昌」や「李に代わり武が栄える」など噂を聞いて、則天を遠ざけた。則天は太宗に殺害されることを恐れ、太子李治を籠絡した。太宗の崩御とともなって、則天は太宗と一緒に葬ることから逃げるため、出家して道士になった。帝位を継いだ高宗李治は武氏が寵愛しているうえで、道観から皇居に迎えた。高宗は体が弱いし、気も弱いし、急速に権力は則天の手に落ち、さらに高宗の崩御をきっかけにして、則天武后は皇位を奪われた。則天武后の統治した時代はいったいどのような姿で歴史の川に現れるのか、歴史学者の評価は一致していないが、則天武后は男子社会に伝説のような偉大な人物だとよく認められている。ある私たち中国語教室の大好きなドラマ<武則天·劉暁慶版>(図1)を一番勧め、東京池袋に所在する中国の本屋さんで昔の中国語の時代劇のDVDを販売されており、ご興味があれば鑑賞してみようか。

 則天武后は中国史上の偉大な政治家であるが、文学で世人によく知られているのは宋朝詞人李清照(図2)である。李清照の作品が大好きゆえに、私たち中国語教室は李清照の詞の書いた絵を教室に掛かった。

 李清照は婉約派という宋詞の流派の宗匠だと認められる。なぜかと言うと、早期の作品を読んだらすぐわかると思う。例えば、李清照は「常记溪亭日暮,沉醉不知归路,兴尽晚回舟,误入藕花深处。争渡,争渡,惊起一滩鸥鹭。」と書いた。(中国語:cháng jì xī tíng rì mù,chén zuì bù zhī guī lù,xīng jìn wǎn huí zhōu, wù rù ǒu huā shēn chù. zhēng dù zhēng dù,jīng qǐ yì tān ōu lù.)日本語に翻訳すると、「渓流に臨むあの東屋の夕暮れを、私はいつも思い出します。すっかり酔ってしまって帰り道もわからずに、興も尽きて、遅くもなったので小舟で帰ろうとしましたが、誤って入り込んでしまったのは、蓮の花の深い群れの中。 ああ、どうやって岸辺にたどり着きましょう、急いで岸辺にたどり着こうとしましたら、驚き飛び立つのは水辺の鴎や鷺といった水鳥達なのでした」という意味だ。(Link:http://kansi.sankouan.sub.jp/?eid=443665)詞を読んで、詞人が描いた絶景はすぐに目の前に浮かんできた。

 そのほか、勇気をもって世俗にとらわれない女性はつねに世間に褒められている。前漢、司馬相如と言う文章家がこのような女子と出会った。司馬相如はまだ貧乏な文人であるとき、友達とともなってお金持ちの家に行って琴を演奏した。お金持ちのお嬢さん卓文君が司馬相如に惚れて、司馬相如の告白をもらったうえで、司馬相如と駆け落ちした。そして、生活費を稼ぎために卓文君はすべての所有物を売り払い、酒場を開いた。この話は「当垆卖酒」(中国語:dāng lú mài jiǔ)と言う。(図3)

 私たち中国語教室は女子社員が多いため、この話題を選んだ。東京や池袋も女子社員も多いだろう。今の日本も女子が活躍しているし、仕事に身を捧げて東京をもっと美しくように頑張っている。私たちも中国語教室も池袋で一生懸命に働いていてみんなと出会って一緒に東京や池袋の未来を作りたい。