草木の四君子

 4月の日本は非常に美しいである。東京において、桜が町を飾ったり、東京池袋の周辺にもオウバイもいっぱい咲いている。このような花の世界にいる人間が日々忙しい生活や仕事などからリラックスして、一瞬でものんびりで幸せになる。したがって、我々東京池袋に所在する中国語教室でも少し花で飾った、毎日花を見てすぐに気分がよくなってきた。

 日本の花と言えば、おそらく誰でも目の前に浮かんできたのは桜である。桜は日本人にとって、鑑賞性だけではなく、日本の象徴とされている。桜は毎年二週間しか咲いていないので、「ものの哀れ」という日本の審美観と合わせて、無常観の象徴とたとえられる。このような綺麗な花は中国にも昔から植えている。桜は中国語で「樱花」(yīng huā)と呼ばれている。昔は皇宮や貴族の庭園などに植え、詩人によく讃えた。例えば、唐朝の詩人白居易は「小园新种红樱树,闲绕花枝便当游。」(中国語の読み方:xiǎo yuán xīn zhòng hóng yīng huā, xián rào huā zhī biàn dāng yóu)と書いて、この詩は庭園に桜の木を植えたばかり、少し花見をしてもちゃんと休憩を取ったという意味である。

 文献を読んだら、詩人は綺麗な桜を見ると、春の色に染められて、心が癒したので、中国人は桜が素敵と思うが、特別な精神の意味を与えなかった。では、中国人にとっては民族精神的な象徴として存在しているお花は何だろう。

 「君子」は儒教思想の中で知識、礼儀と徳行が優れた理想的な人物を示し、人々が一生追い求めべき究極のゴールであるとされている。草木の中で「四君子」と呼ばれた梅(méi)、蘭(lán)、竹(zhú、)と菊(jú)は最も中国人に好まれている。

 中国人は梅が厳冬と戦っている姿を褒美しており、梅が困難を恐れない、忍耐と勇気を持て立ち向かうという精神に感動されている。昔宋朝有名な詩人―王安石は梅が好きなため、「墙角数枝梅,凌寒独自开。 遥知不是雪,为有暗香来。」(中国語の読み方:qiáng jiǎo shù zhī meí, líng hán dú zì kaī。yáo zhī bú shì xuě,wéi yǒu àn xiāng lái)という美しい詩句を書いた。 日本語に訳したら、「厳冬なのに、壁の隅で梅が何本咲いている。遠いところに居ても雪じゃないことが知っている。なぜなら、花香が柔らかく漂ってきたから。」という意味だ。

 蘭と竹について、最も好きな対句「兰原有骨,奈何风中委屈;竹本无心,无端节外生枝。」(中国語の読み方:lán yuán yǒu gǔ,nài hé fēng zhōng wěi qū;zhú běn wú xīn,wú duān jié wài shēng zhī)を紹介したい。この対句は作者が蘭と竹の特徴から蘭と竹を描いているとともに人生も感嘆している。蘭の茎を蘭の骨と見られて、骨のある蘭はなんで風に振られていつもゆらゆら揺れているの。この対句はほかの蘭の詩句と比べて、蘭や竹に新しい性格を与えた。竹は空芯であるが、なんで木のこぶに枝子が出ていく。中国語で「节外生枝」と言うのは横合いからじゃまがはいるという意味だ。竹はもともと中国人に対して高潔の士の象徴であり、いつもまっすぐな姿で周りの環境がどんなにつらくても、本格を放棄しないとの評価を得られた。ところで、私たち東京池袋に所在する中国語教室ーOnly語学塾にも蘭を植えている。

 菊はもとても有名な花である。桜と一緒に日本を象徴している花である。池袋でよくみられる。中国には陶淵明は菊に名利を望まなくて、志向の高いというイメージを賦与した。に関する詩句もいっぱいある。最も有名な詩句はおそらく陶淵明の書いた「采菊东篱下,悠然见南山。」(中国語の読み方:c ǎi jú dōng lí xià , yōu rán jiàn nán shā n.)である。この詩句から、菊も世捨て人を比喩する。

 花をいっぱい紹介したこの記事を読んでくれてありがとう。東京や池袋や新宿などは非常ににぎやかであるが、仕事に奪われない日々に花の満開している静かな公園で少し休んで、心を癒してみようか。