お酒と中国人

 私たち中国語教室は先日池袋の居酒屋に飲み会に行き、ビールやサワーをいっぱい飲んだ。中国語教室にはお酒に弱い人でもお酒と言ったら故郷が思い出した。お酒に対して、中国人は常に「飲めないけど、飲まさせることが嫌だ」と言っているのに、お酒に好感を持っている。

 例えば、私にとって、お酒に言及したら「帰属感」(中国語:guī shǔ gǎn)という言葉はすぐに思い出した。両親やおじいさんやおばあさんはまるで「酒鬼」のような存在である。小さい頃から、お父さんの酒の香りを嗅いでいた。田舎に行って祖父と祖母を見に行ったら、大人たちはお酒を飲んだり、笑いたりして、家族と言ったら、子供の私にとって、「父と相手の家にいって一緒にお酒を飲める人」だろう。お父さんに「なんでお酒好きですか」と聞いて、「僕のお父さんもお酒大好きだよ、遺伝だろう。」と答えた。お父さんのお父さんはずっと前からなくなってしまって、私は非常に興味があった。

 お父さんはお酒をゆっくり飲みつつ、お爺さんの話を言ってくれた。中国には、お父さんは子供にとって最も怖い人物である。なぜかというと、悪戯したらすぐにお父さんに怒られて殴られる可能性がある。しかし、お爺さんはお酒が大好きで、お酒を飲んだら気持ちよくなってそのような暴力的な事件が起こらない。すると、お爺さんに「お酒を買ってくれ」と言われたお父さんはいつも喜んで酒坊に行った。「時々余ったお金を自分で使うのも平気」と言っているお父さんはお酒を飲んで、微笑みを顔に浮かんだ。

 お酒は中国人の生活と厳密に絡まれて、今は先言った「帰属感」が理解できたのだろう。そのほか、結婚から葬式まで、中国人の人生に対してお酒がなければ想像できない存在である。我々平民だけではなく、詩人はお酒を飲んだら文章や詩句を書くとき,アイディアもすぐ出るし筆も早いである。

 もっとも有名なのは李白である。杜甫は「李白斗酒诗百篇,长安市上酒家眠,天子呼来不上船,自称臣是酒中仙。」(中国語:lǐ bái dǒu jiǔ shī bǎi piān, cháng ān shì shàng jiǔ jiā mián. tiān zǐ hū lái bú shàng chuán,zì chēng chén shǐ jiǔ zhōng xiān.)を書いた。李白はお酒飲んだら詩句をたくさん書いて、そのまま長安城の酒坊に寝って、皇帝の命令でも無視し、自分がお酒の仙人と酔って言った。李白は一人でお酒を飲んだ時「花间一壶酒,独酌无相亲。举杯邀明月,对影成三人。」(図1)(中国語:huā jiān yì hú jiǔ, dú zhuó wú xiāng qīn.jǔ bēi yāo míng yuè, duì yǐng chéng sān rén.)と書いた;友達とお酒を飲むと、「醉来卧空山,天地即衾枕。」(中国語:zuì lái wò kōng shān,tiān dì jí qín zhěn)と書いた…

 李白だけではなく、お酒は詩人に欠かすことができないである。友人と別れた日に、「劝君更尽一杯酒,西出阳关无故人。」(図2)(中国語:quàn jūn gèng jìn yì bēi jiǔ,xī chū yáng guān wú gù rén.)と書いて、名残惜しげに別れ話を言う;

 友人を出会ったとき、「晚来天欲雪,能饮一杯无。」(図3)(中国語: wǎn lái tiān yù xuě ,néng yǐn yì bēi wú.)と書いて、「雪が降るそう、僕と一杯飲んでくれる?」と友人に誘った。この詩句を何回吟味し、夏目漱石の「今夜、月がきれいですね。」と曲は異なっても巧みさはおなじである。

 お酒は中国人に対して生活の苦しさの捌け口である。古人の詩句を口ずさんで、自分の世界をよく発見する。私たち中国語教室はたまに池袋の中華物産店で紹興酒や白酒などを買って飲み会を行う。東京や池袋等は私たちのふるさとではないが、お酒と一緒に東京に生活し、思い出を作り、中国語教室の皆との出会いも明記する。お酒は詩人と普通な私たちの生活になければならない存在である。興味があれば、中国人の友達と一緒に東京や池袋の中華物産店にお酒を買って、友達とお酒のストーリーを聞いて中国人の世界にもっと深くに行こう。